とまり木 常盤木 ごゆるりと
ひねもすのたのた
どれもこれもが、たよりない
何かが、内側で、ごとがたしてしまいそうな時。
それらを落ち着けるために用いる手段は、人によりまちまちありましょう。
わたしにも、そういった手段は幾つかあります。
本に触れ、活字を全身へまとうようにページの中へ潜ったり。
キィに触れ、己を仮託してもしなくても、何か言葉を綴ったり。
コントローラーに触れ、親愛なる人々のお話へまた会いに行ったり。
彼と彼女の記憶に触れ。ふたりのことへ思いを馳せ、満たされたり。
ええそうですよ彼と彼女だけは別格なのです。
どこまでも。どこまでも。
けれど最近は、上記以外の手段が、一番はばをきかせています。
針と糸に触れ、布とフェルトの海の中で、形あるものを綴ること。
お手本とにらめっこ。
型紙や裁断からの流れを見ながらぶつぶつ言って。
どの布を、模様を、色を合わせるか、ああでもないこうでもないと考えて。
哀れな針目にああああと頭を抱え。
そうしてできあがった、へなちょこなものを愛しく思う。
こんなひとりあそびです。
お気に入りの音楽を聴きながら、黙々、無心に、ちくちく。ぬいぬい。
楽しいとかどうとか以前の問題で、ひたすらに没頭する。
音楽が流れていても、それはとても静穏なもので。
波立つことのない、一本の線が緩やかに続いているよう。
ぎざぎざにもつれていた、こわい糸が、するするほどかれてゆく。
その形容しがたい安堵感。
色々とやすあがりですねえ(笑)
でも、ちみちみ縫っていって、拙いながらも完成するのは嬉しいものです。
このあたりは、文章もお裁縫も同じですね。ただ少し、形が違うだけ。
世界には、色んな表現があるということでしょうか。
針を動かして、糸を走らせて、たまに自分を縫いかけておおおおとなって。
地味に流血沙汰の危機と闘いながら、あそんでいます。
こんなあそびを知っていて良かったなあ、なんて、しみじみしながら。
でもBGMがスパロボでシュシュを作るのはどうかと我ながらちょっと思いました。
友人にも突っこまれましたし。
スーパーロボッてなりながら、リボンとレースを駆使してました。
何か違いますか。違うのでしょうか。
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