とまり木 常盤木 ごゆるりと
ひねもすのたのた
そこはかとなく一期一会や淡交にも似て?
むきい。しばらく、ろくに書くことができなくなりそうなものですから。
今のうちに書こう!と、思っていたのですけれど。
どうにもこうにも指がにっちもさっちもです。
書いていて、視点や方向や言葉がばらばらになる感じ。
こういうときはしみじみと、才能のなさを思い知ります。
偉そうに文章のことを語ろうと、結局は口先だけなのだと。
いざ書こうとしたら、即座に灯台と羅針盤をなくした航海と化します。
一言でいえば迷子です。悲しいほどの実感を伴った。
うむ。ひどいものです。
何も考えていないかしら、と指を動かしながら思います。
わたしは目先のことを条件反射のように書くばかりで。
いえ…だからこそ、『習作』ということで、お話百個計画してるのですが。
質を求めるほどの腕をわたしは持っていません。
ですので数を。今はひたすら数をこなして、積み重ねていこうとして。
その数すら、なかなか、堆積させることができません。
数をこなせ、と言い聞かせているつもりです。が。
つい書くうちに欲が出て、粗削りにやすりをかけようとしてしまう。
一応、日記にはアップしているものですから……。
ご覧の方は、ほんの数人もいらっしゃるかどうかでしょうけれど。
それでも目を意識して、少しでもましに、と思ってしまうのです。
ああ、謙虚なナイト風に言えば、この浅はかさは愚かしい……。
以下またエピ2のことでぐちゃぐちゃ言うてるので、反転しておきます。
エピ2が純粋にお好きな方は、無視してお進みください。
人を一人、書こうとしたら、その生に責任を負わねばと思ってしまうのです。
その人はどんな道を歩んできた?どんな考え方をしてどうものを見る?
そうしてどうやってその人物を描こうとする?
考えすぎなのやもしれません。
名前だけつけて、適当に声を発させておけばいいのやもです。
けれど、かつて、わたしはそれを蛇蝎のように嫌いました。
ええ。エピ2です。
エピ2以降のサーガは、街の人にも片っ端から名前がつきました。
けれどそれはただの名札でしかありませんでした。
中身が何も伴っていない。人格が与えられていない、ただの発声装置。
名前どころか、記号や番号のようなものでした。
名前をつけただけで、あとは使い捨てされているようで。
それがわたしは、生理的に嫌で嫌でたまらなかった。
なのに今、同じようなことをしようとしている。
自身にまとわりつくこの嫌悪感。
書く人物をどこまでもどこまでも知ろうと思えば、潜れば良いのです。
それは時間がかかります。自分の境界がなくなるまでの行為。
奥深く、暗く、潜って、潜って……。
それを。百回。
わたしにできるものでしょうか。
ああ、いえ、そこまでしなければ、書けないものなのでしょう。
本来、書くということは。
ならばこそ一つ一つの話に真正面から全力勝負で挑める。
技巧に走らず、粗削りであっても。戦友と共闘している気分で。
かくありたい、と思います。
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