とまり木 常盤木 ごゆるりと
ひねもすのたのた
それはまさに、あまいあまい
むやああああ図書館戦争DVD届いたうわああああ。
いつも発売当日にありがとうございます、じょーしんさん……。
むしろ発売日午前中どころか九時前に届いたという。
じょーしんさん、じょーしんさん、あいしてます。
確かゼノブレも八時過ぎに届きましたしね。驚愕しました当時。ええ。
取り敢えず本編みなおしてもっぺんないておきました。
わたし朝から寒さで頭いたいですのに何をしているのか。
や、でもいたいのちょっと治った気もします。
ありがとうラブコメ。ありがとう胸キュン。
やーそれにしても、やっぱり素晴らしい映像化でしたね。
この有川せんせ、野木さんラインは鉄板です。
抜群の安定感と信頼感。欠片ほどの不安もありません。
まだ特典映像は未見ですので日々こつこつ楽しみに見ようと思います。
……今月DVD三つくるんですけれどね。
欲望に勝てませんでした。しかもうち一つはDVD-BOXです。
い、一ヶ月早いクリスマス気分ということで……。
まあ来月パシリムくるんですけれどね。
この二ヶ月で半年か一年分くらいDVD買った気がします。
……もうしません。はい。
しかし改めて見ていると、原作読破組としては。その。
教官と郁さんがあれやこれやしていておりますと。
どうしても画面下とかにテロップを幻視してしまいそうで。
『後の究極バカップルである』とか。
『後のラブ夫婦である』とか。とか!
郁さんがかわいくて教官が夜、小牧さんに愚痴ってそうです。
部屋飲みしながら「俺の(後の)嫁が可愛すぎてどうしたらいいんだ」
とか心底深刻そうに語っていそうに思えてなりません。
そうしてこちらとしては笑いがこみあげてなりません。
ああもう微笑ましい。
ああもう続編まだですか。
後一年は無理でしょうけれどね。教官が大河でお忙しいので……。
それと、もし映画がシリーズ化しても別冊までいくと逆に困ります。
別冊の1はわたしが生命の危機をおぼえるレベルの甘さでしたので。
あれを実写でされると、その、激烈な死の予感に襲われそうです。
みたいようなこわいようなでもみたいような。
ともあれ。
これから、素敵なものがどんどん届きます。はあ。しあわせ。
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きっと当たり前のことでしょうに
あかんなにこれいっぺんにさむく。
うう、おふとんの足が冷たいです。そろそろ毛布の出番ですね……。
寒い季節にスイカはありませんが、焼き菓子はあります。
むしろ焼き菓子が本格的に活躍する時期です。
ケーキもマフィンもクッキーも人気者。
そして満を持してのチョコレート。チョコレイト!
ジャンドゥーヤを考えたひとは天才だと思います。
毎年毎年、そして何度でも言いますよ。
ジャンドゥーヤを考えたひとは天才だと思います。
どこのどなたか存じませんが、わたしにジャンドゥーヤをありがとう……。
今日も地道に再構築。
すればするほど、色んなことを考えてしまいますね。
例えば、ですけれど。
ある人物がいるとします。必死にお勉強をします。
なぜ、お勉強をする?
その原因は。理由は。背景は。過程は。
何が種となって芽を吹き生じて実を結んだのか。
種を育む土壌は影響しているのか。
内面の揺れ動きや流れはどのように繋がってゆくのか。
根掘り葉掘り、これでもかというほど潜り続けなければならない。
けれど、何かを作ろうとするのです。
こんなことは、ごく当たり前のことなのでしょう。
むしろわたしが今までいかにさぼっていたのかを思い知らされます。
や、さぼっていたというより、興味がなかった。
繰り返しになりますが、わたし人間を書く気がちっともなくって。
初めて正面から、人間を書こう、と思ったのが今年から。
人間以外のところに重きを置いたというか、人間がないがしろすぎて。
自分で作ろうとするものに、ここまで潜ったことがありませんでした。
わたしが現時点で人生史上最深に潜ったのは確実にゼノです。
本当…我ながらアホほど潜りました……。
ただ、そうする必要があったのですよ。
そうしなければ書くことができませんでした。
今でこそエリィをさんざ好き勝手に書いてはおりますけれど。
最初の苦戦っぷりときたら、生半可なものではありませんでした。
いえ、あれはエリィと言うよりゼボイムエリィですか。
ほんっっっとに、苦戦しましたもの。ええ。
でもまあ、悪戦苦闘したお陰か、今ではすっかり書けるように。
……ちょっと色々やりすぎている気もします。そこは要反省です。
必死に知ろうとしました。
がむしゃらに理解しようとしました。
もがき暴れるより、淡々と沈むほうが確実だと知りました。
どうかあなたを教えてほしいと祈るように。
前にも書いておりましたが、やっぱり『潜る』以外に表現がありません。
でも。いくら偉そうに言ったところで。
わたしが理解したと判断したことも、所詮思いこみやもしれません。
ひとりよがりな。酷く勝手な。
それでもあの頃わたしは考えて。考えて、考えて、考え抜いて。
納得のゆく結論を導き出すことができました。
それが今のわたしのことば。フェイとエリィが育んでくれたもの。
今はすっかり喫茶住まいさせちゃってごめんなさいね! でも楽しいの!
そして今日はどらやきおいしい
どんどん夜明けが遅く、じわじわ寒さが忍び寄ります。
ああ秋ですよ、そして冬ですよ。夏…夏はやく……。
暑いのは耐えられても寒いのはつらいです。
だって寒い季節にはスイカがないのですから……。
スイカがいてくれるからこそ、乗り越えられるのですよ。
まあそんなこと言うていても今は秋ですよ。じきに紅葉です。
たいやきに救いを求めようと思います。たいやきおいしい。
前回の日記で少しだけ訂正です。
訂正と申しますか……補足説明?
流行物を取り入れる作品について、やや批判的に書いてしまいました。
別に悪いことでも何でもありませんのに。
むしろ、流行のものをいち早く取り入れるということは。
書き手のアンテナが、幅広く情報を受け止めているからでしょうし。
アンテナが高感度で悪い、などという道理はありません。
なので本当にこれは好みの問題なのでしょう。
わたしが単純に、時間の流れに左右されにくいものが好きなだけで。
そうでなきゃ、ワードローブに十数年前の服はありませんよ……。
意匠が普遍的だからこそ、いまだに着られるワンピースがあるのです。
ただ少しばかりリメイクで、手は入れてありますけれどね。
ちょっと寂しいかと思い、レースを付け足したりしてみました。
お陰でまだまだ現役です。うれしい。
あっ、そういえばわたしのスーファミもまだ現役でした!
相当黄ばんできていますが、動作不良の気配はありません。
いやその…接触不良はあるでしょうけれど……それは昔から……。
そういう時は、ちゃんとふーふーしますから。
本当はいけないそうですけれどね、ふーふー。
でもついついしてしまうのは仕方ないと思います。習慣! 習性!
ほっぽらかしてるミスティックアークしなくちゃです。
まだ世界半分くらい残っていますし。おかしの世界だいすきです。
古いものも、新しいものも、どちらも素敵なもの。
甲乙つけがたいとかでなく、甲乙つける必要がありません。
温故知新、温故知新。日々是勉強。
そしてまたジョジョなのですが、ここ数日紳士を書きたい気持ちがむくむく。
あちらこちらで紳士を拝見して満喫してはいるのですけれど。
たまに「ああ違うねん…そういう紳士じゃなくて、もっと、こう……!」
的な、じたんばたんする衝動に駆られることが続いて。
そうなると自動的に、長年の経験に基づく自給自足プログラムが作動して。
書きたい、と内側から突き上げてくるものにせきたてられるのです。
そのたびに、いやまだ早い、わたしまだ読めてない、と制する日々。
なにせわたしジョジョマラソン現在地三部ですからね!
もうちょっと、きちんと、読んでからのほうがよさそう。
せめてディオさまのこと片付いてから。
いや別に書きたいお話にディオさま出ないのですけれどね。
何かこう、心構え的な。
けれど……。
紳士が書きたい。紳士と奥様が書きたい。
そしてもちろんふたりの大切なお友達のことも書きたい。
もっと知りたい。調べたい。そして書きたい。
失礼のないよう、真摯に、いつか一部の方々を書きたいです。
しゅきん、と、まとまる音がする
ぎゃー何このノート効果ばつぎゅんすぎる。
これまでうんうん唸ってたのは一体何だったのでしょう……。
ちっとも決まらなくて時折投げやりになりがちでしたのに。
突然どういうわけだか物凄く集中できるようになりました。
目の前に、きれいに真っ白な空間がある所為でしょうか。
生半可な気持ちで挑むことはできず、きちんと埋めたくなります。
そして埋めようとすると再考が深みへ深みへ自然と導かれます。
こんなにかつんかつんと。
真四角のパズルが並べられてゆくみたいに固まっていくだなんて。
今まで考えもしなかったことへ手が届くようになりました。
繋がってゆく、という感覚が明確にあります。
幸福なこと、と思います。
なんかほんまこれジョジョ効果な気がします。
良い作品の余波すばらしい。これも波紋効果ですか。
やや語弊がありますが、古典を読んでいる気分になります。
現在進行形の、流行語や流行物を取り入れる作品もあります。
確かに鮮度を得ることができますし、共感だって得やすいでしょう。
けれどそれは裏返せば、流行が終わると、即鮮度が落ちるということ。
刹那的な、単なる消費物となってしまう。
そこに普遍性はありません。
ただ、そういった作品を好み、求める方もいらっしゃるのでしょうけれど。
わたしは普遍的なもののほうが好きです。単に好みの問題ですね。
一度季節を過ぎたらもう着られなくなってしまう服よりも。
長く、褪せることなく、ワードローブにいてくれる服のほうが。
わたしは、安心感があって、とても好きです。
何度でも何度でも読み返したくなる本なんかと同じですね。
しかし書いててふと思いましたがこれキモノみたいな。
世代を越えて受け継がれて、何十年前のものも色褪せない……。
年月に裏打ちされた信頼。
絵本や児童文学なんかは即座に評価がくだりにくい存在です。
五年、十年、もしくはもっと時間をかけて。
やっと評価が定着し、そうして愛されてゆく。
それだけの年月多くの人が向き合い続ける。
一瞬の接触で終わってしまえば、そこから何も始まりません。
普遍的な魅力があればこそ、長く触れられ続けるのでしょう。
二十年以上続く作品を包む愛と信頼の気配が、とても心地良い。
惹かれないわけがありませんね。
一言でまとめると、承太郎さん素敵。
かわいいノートに降りしきる流星群に祈りをこめて
ジョジョの影響で、もっと再構築がんばろうという気持ちになれました。
ので。初心に戻る意味で、まっさらのノートを買ってきました。
形から入ってますね。
いやでも、気分一新には、分かりやすい方法だと思うのです。
まあ書きこまない限り、まっさらのまんまなのですが。
いそいそと書いていきましょう……。
再構築再構築言い続けていた割に、わたしの認識は多分甘かったのです。
ぺらい裏紙を何枚か綴じただけのものに、これまで書きこんでいました。
書ききれるわけが、ないでしょうに。
でも枚数に制限をかけたのにも、多少は理由があるのです。
装飾過多になってはいけないと思いまして。
余白がありすぎると、ただ埋めるだけに走ってしまいそうで。
それこそ特に必要ないと思われることまで、たらたらと。
もしそうなれば、純度が低くなってしまう。薄まってしまう。
との、考えでした。
けれど……。
余白はあっても良いのです。問題はその埋め方。
きちんと過程や、理由や、根拠が、明白になっていれば。
薄まりそうなら煮詰めれば良いのです。考えて考えて考え抜いて。
糸井ダーリンのように、頭や脳から、血が出るほどに。
わたしまだ血をながしていません。
例え表に出ることはない情報でも、がっちり固める方はいはりますね。
ぱっと思い浮かぶのは、くらもとそうさんでしょうか。
確かあの方は、登場人物の年表みたいのを作られるのではないですっけ。
最近だとパシリムのデル・トロ監督。パンフに書いてありましたもんね。
登場人物の履歴書作ってる、って。
ともあれ。くらもとさんは、年表にそって書かれるそうで。
そのため人物の動きや流れに一貫性が保たれる。
けれど書く際の根っこであろうその年表は、劇中明らかにはならない。
みたいな話を以前なにかで読んだ記憶があります。
間違っていたらごめんなさい。いやほんとごめんなさい。
ただ、そういう書き方を、わたしもしたいなあ、などと思っています。
いや。したいなあ、ではなく、しなくては。
高橋監督のように人物どころか世界の原子一粒から作るのではないのです。
もっと大きな塊なのですから、がんばらないと。
なにせたった八人です。イレギュラー含めても十人かそこらのはず。
破綻なく、紡がせて、絡ませて、織り上げて。
そうして百のお話を。
苦心惨憺、うんうん唸りながら考えたわけでもありませんのに。
ある時ふっと、なにげなく自然に人物の動く瞬間がありました。
自ら動いてくれました。
再構築を始めてから、初のことでした。
タイミング的にジョジョのお陰のような気がしてなりません。
わたしの言葉は動き出す?
ううん、まだまだ。ただの偶然。慢心はいけません。
誠実に、真摯に。一言一言を、重ねましょう。