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とまり木 常盤木 ごゆるりと

ひねもすのたのた

 

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いくら気づくのが遅かったとはいえ


気持ちがごとがたするならば、落ち着くために本でも読みましょう。
『いつもと同じやん』というツッコミは禁止です。


何だか急に会いたくなって、アシモフの分厚いのを取り寄せてみました。
コンプリート・ロボット。一冊まるごと鈍器みたいな厚みが全てロボット。
最初に読んだ時は何と申しますかもうじたばたしたものです。
それがロビイから続く二度目のアシモフ。
そこからとうとう、ダニールへと至ったわけです。
で、ダニールの三作も読み終えて、コンプリートのほうに戻りました。
こちらに短編が入ってるのですよね、ダニールとそのパートナーの。
最初は続き物とは知らず読んでしまっておりましたので。
改めて、二人の短いお話にも触れたくなったのです。
ああもういいなあ、ミラー・イメージいいなあ…!
ハリウッドさんはどうしてこれを映画化なさらないのでしょう。
それとも、わたしが知らないだけで、既にされている?
ネタが枯渇している、とは最近よく聴きますけれど。
あちらのお国は、アシモフせんせを抱えていらっしゃるじゃないですか。
これであと少なくとも五十年は原作に困らないと思うのですけれど。
アイロボットの映画は酷すぎると聞きますので、かえって見てみたいです。
どれだけ酷いのでしょう。どきどき。

あと最近、珍しく、推理ものを読んでいます。
今更何を、と言われそうですが、ホームズです。
昔から推理小説は苦手で、ちっとも食指が伸びなくて。
それこそわたしマガーク探偵団くらいしか触れてませんからね。
なのに、どういう風の吹き回しか、現在ホームズものに没頭。
児童書とはいえ、今月四冊目読了とかどういうことでしょうね。
や、何だかその、色々気になってしまって。
けれど、いまだにきちんと読めているかどうかは自信がありません。
きっと不慣れな所為ですね、読んでいて、立ち位置が分からないのです。
推理ものお好きな方は、どんな読み方されるのでしょう。
自分も探偵と一緒に頭を使いながら、推理していく?
それとも助手の気分で、探偵の推理を眺めている?
はたまた完全に鳥の視点で、遠くから平然と物語を見守る?
全く慣れない時は、この立ち位置に酷く戸惑いました。
身の置き場がないのですよね。どこにいればいいのか。
因みにちょっと勝手の分かりだした現在は、後ろの二つをまぜまぜです。
そして素直に推理に感心しています。
作家さんからしたら、やりがいのない読者でしょうねえ。

推理もの。苦手意識が薄らいだのは、前述のアシモフのお陰やも。
ダニールのお話は、SFミステリですもんね。
ロボットに、ミステリの上へ薄い膜をかけられて、受け入れられました。
我ながら何だかなあと思います。



あと。実は。
ホームズものに触れようかなあ、と思う、きっかけは、あったのです。
いえその。地元の、おっサンテレビの所為なのです。
朝にわんこホームズの再放送をやり始めてまして。
ついつい懐かしさから見てしまっておりましたら、興味が原作にも向いて。
十数年の時を経て、ちゃんと原作を読み始めました。
ただし。
原作楽しいな!とうきうきしだした矢先に再放送が終了したのは秘密です。
ちくしょう。
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ロボとガーリィと戦国乱世


本も読みたいですがシュシュも作りたくお菓子を焼きたくもあります。
どういうわけか全力で秋らしくしたい模様です。


最後の一つは単純にいやしんぼだから、という理由なのでしょうが。
涼しくなったので焼き菓子でもしたいものです。
以前から一度試したかったお菓子があるのですよね。
使えそうなレシピも見つけたので、また取りかかってみないと。
でも深層心理的に、一番したいのはシュシュ作りやもしれないです。
いえその…何やら、夢にまで出まして……。
夢の中でシュシュの材料集めにうんうん言ってました。

その作りたいシュシュのデザインというのが。
最近どうにもこうにもスーパーロボッなものですから。
SRXなシュシュを作りたいのです。
以前、こぶりのシュシュを二つ重ねるダブルシュシュの作り方を知りまして。
ああこれなら合体できるわ!と一人で喜んでいたのです。
トリコロール(R-1、R-2風)+白とオレンジ(R-3風)のシュシュを作り。
薄紫の布(R-GUN風。ベルベット希望)で二つを繋ぐのです!
で、そのR-GUN部分につけるメタルチャームをどうしようかと。
よくあるアルファベットのチャームで、全部まとめて『R』とつけるか。
それともR-GUNであることを重視し、ピストル型のチャームにするか。
どちらが良いかと悩んでいたのです。夢の中で。
駄目ですね。実に駄目です。

いっそペンダントトップ作るのも楽しそうです。
以前に作った、エレハイムモチーフのやつみたいに!
基本の土台とすべきメタルチャームは随分前から確保していて。
あとはどう飾りつけをするか、というのみだったのですが。
やっと多少、イメージが固まってきました。
今度はシオンさんモチーフなのです。
お花と、星と、音符で飾ります。本当はうさぎもつけたいのですが……。
あんまり詰めこみすぎると、うるさくなってしまいますもんね。
エリィの時より材料が細かいので、いーかげん手芸用のペンチ買わないとです。
今うちにあるペンチおっきすぎて、細かい作業ができないのです。
サテンのリボンに綺麗な常盤色のがあったら、それも欲しいなあー。

そして読書も粛々としていたりです。
月が改まりましたし、また頑張って読み進めないとです。
今年は本をさぼりすぎました。今からでもエンジンかけなければ!
先が気になって気になってずんずん読んでいる、くにとりものがたり。
上下巻合計九百ページ以上あった作品も、残り百ページを切りました……。
そうそう。以前にもこそりと感想らしきもの書いてましたが。
上巻のことで、一つ書き忘れていたことがあります。
それは。『わたしの知ってる弾正とちがう』です。
三梟雄が一人で名高い、どこぞの爆裂弾正ですが。
マムシパパンとお会いしてる時はまだ初々しい若人です。
若かりし弾正登場で、おおおお、となったのですが。
直後、そのやたらきらきらしい描写に叫びかけたのです。
何このきらきらした弾正。こんな弾正わたし知らない。と……。
そして下巻にちらちら名前の出る弾正は完全にわたしの知ってる弾正でした。
どういうわけか安心しました。なぜでしょう。
色んな意味ではらはらしつつ、お話は終盤へと向かってゆきます。
その過程で。あけちさんが。
細川パパについて『持つべきは友だな』とか思ってはるのを見ると。
何とも言えず、『あああああ…』ってなります。
ほんと何とも言えない。後を、後のことを、考えれば。

細川さんと言えば。
今度、それとも…もうしてはるのでしょうか?洛で展示がありますね。
行きたいなあ細川家の至宝!
あの何ともすらりとした鳥ぶしゃーとした具足もあるそうですし。
そわそわチラシ見ましたら、桜九曜の鍔も出てるのですね!
うわあどうしましょうわたし刀の本であの鍔を見て感嘆しましたのに。
あんなに美しい意匠の鍔があるものかと思いました。
是非一度、本物を拝見したいものです……!
兵庫まで来てくださいませんかね、それともせめて、大阪か。
行けと。洛まで行けと仰せですか細川の殿。

肥沃なその地は先週訪れたばかりの

先日、母による水筒の蓋しめわすれテロに遭い、鞄が香ばしいかほりに。
わあん。わたしの月光荘かばんー。


けれど、そこはさしもの月光荘さんでした。
泣く泣くじゃぶじゃぶ洗いましたら、随分しゃっきりしてくれました。
アイロンをかけたように背筋を正してくれたのです。
かえってシュッとした気がします。うむ、シュッとしてます。
デニム生地であるということを差し引いても、気持ち良い戻り方です。
色が適当に落ちて、だんだらになるようなこともありませんでしたし。
迷い迷って結局買って良かったなあ、と改めて実感しました。
でも、この丈夫さも、考えたら当然ですね。
そもそもは、絵描きさんの画材用の鞄なのですから……。


読みたい本があれこれありすぎてうきうきしています。
読みたい本があって。しかも、内容をすらすら読めて。
この二つの時期が重なるのは、稀有なように思います。
少なくとも、わたしにとっては。
今月は予定読書冊数越えましたし、また来月も頑張らないと!

そういうわけで、今日からはくにとりものがたりの後編にかかっています。
ええ。名作を今更なのです。お恥ずかしい限りです……。
前編終わったばかりなので、少し間をあけようかと思ったのですが。
ラストが、えらくいいところで終わったので、やきもきした次第です。
ええーマムシパパンどうなるのー?ご婚儀はー?会談はー!?みたいに。
なので、ついつい続きに取りかかっているわけなのです。
因みに現時点で一番盛り上がったのはあけちさんのとこでした。
厳密に言うと、あけちさんと細川パパの出会い方でした。
だって、思わぬところで細川パパ出てこられるものですから!
予想外すぎて、咄嗟ににっこりしながら『あらあらあら!』と声が出ました。

よくよく考えてみたら、わたしこの時代の作品じっくり読むの初めてやも。
これまで触れてきたのとは、ちょいちょい時間がずれているのです。
すみません上杉ひいきで。
けんしんさま時代と、景勝さまの関ヶ原前後ばっか読んでました。
信長さまのあたりは有名すぎて、手をつけてなかったのです。
そのため色んなことが新鮮で、大変面白く読み進めています。
奥方さまはー?娘さんはいつごろー?うさみみ兜の彼はー?
などなど、次にくることをあれやこれや想像して待ち構えています。
それでも、細川パパの登場方法にはまったく不意を衝かれました。
さあ。これから終わりまで、どうなることかはらはらしつつ、楽しむとしましょう。

文体が、少し違う気がしました。
何でしょう?
しばせんせ、もっと、たまに怖いくらい冷徹な目のときがありませんか。
どこか柔らかい。温かな眼差し?ううん、どうなのでしょう。
豊臣家のあれとは、大変な温度差を感じます。作品の内容ゆえでしょうか。
物語と向き合う態度や姿勢や目元が違うのやも。
それが顕著に感じられたのは、前編のある箇所。
突然、しばせんせと、マムシパパンがお話を始められる。
最初に読んだときは、思わずくすりとしてしまいました。
だって、場面が目に浮かぶようだったのです。
お二人が膝をつきあわせて対座して、歴史の裏話を語り合われる光景。
あれやこれやと、それは楽しげに。

わたしごときが、こんなことをおぼえるのは、おこがましいことですね。
なら今はもう口を噤んで、素直に文字の中へ歩み入るだけです――

日へと指を伸ばす月の姫君


あめあめ。ざあざあを通り越して、どざどざ。
久し振りに、市内のあちこちへ避難勧告が出ています。


そんな台風直撃中なときに、わたしはのんきに日記など。
おふろあがりでほこほこしつつ、水分補給も満喫しました。
これも不謹慎だと責められるのでしょうかね。
ああ、でも、きつい雨風にこころおどるのはサガのようなもの。
それに……角度を変えてうねりながら吹きつけてくる雨の中。
傘をさして帰宅しておりましたら、少し、体が楽になったのですよ。
最近、偏頭痛やら目眩やら熱っぽさなどがあったのですけれど。
台風の中におりましたら、それが不思議とやわらいだのです。
なぜでしょうね。
ただ、なんとなくですが。
雨や風の精気が、肌を取り巻くようで、染み渡るのではなくて。
それでもゆっくりと外から内へ忍び寄るような気がしました。
あくまで、ほんとに、なんとなくのお話です。


さーそして、忘れないうちに本の感想いってみましょう。
素敵な本へ、随分ご無沙汰な大当たり。
グージの、『まぼろしの白馬』。
わたしが書きたい感想は、巻末の解説に集約されていました。
なかがわりえこさんの筆曰く。
『これほど美しくて楽しくて不思議で謎めいていて、ちょっと気味が悪くて恐ろしく、誇りと勇気と愛にあふれ、気高くもかわいらしい物語を読んだことがあったであろうか』
こうも完璧に表されてしまうと、最早わたしの出番はありません。
本当に、一字一句違わず同意したくなります。
まさにその通り!と快哉をあげたくなるのです。
ですので、以下はやたらと長い蛇足です。

場所はイギリス、時は日本でいう幕末近く。
両親を失った十三歳の女の子が、家庭教師の先生と共に馬車に揺られます。
『ははあ、展開が読めた』とお思いの方は、たぶんその通りです。
彼女は、会ったこともない、遠い親戚のお家へ引き取られるのです。
喪に服した霧の夜道、冷えた月明かり。
不安に満ちたまま、辿り着いた先で始まる生活は――

銀色の田園に鎮座する屋敷。そびえる塔。最上階にある彼女の部屋。
入口は狭く、ほっそりとした十三歳の女の子にしか入ることができないほど。
むしろ『十三歳の女の子のためにつくられた塔の部屋』。
何もかもが豪華で、それでいて品が良く、まさにお姫様待遇。
けれど彼女はやがて、屋敷とその領地である村の、秘密を知って。
ひょろっとした頼りないみなしごだった、彼女が。
やがてその待遇に相応しい、度胸と知恵と機転と優しさを存分に発揮して。
名実ともに、文句のつけようのない、見事なお姫様と化してゆきます。

と、まあ。だらだらと書きましたけれど。こんなのは実にどうでも良いです。
とにかく、このお話の肝要なところは、そのほれぼれするような美しさです。
別に豪奢な語彙をちりばめているわけではありません。
あくまで涼やか、落ち着き払った言葉で、それでも美しい。
このへん、同じイギリスの作家さんであるアトリーにも通じるような。
訳者あとがきで『センティメンタルだという批評もうけました』と、あります。
詩的表現のためでしょうから、その指摘も確かにありですけれど。
それこそが、この作者さんの持ち味だとわたしは思いました。
まあ、ひとを選ぶということでしょう。わたしはどんぴしゃでしたよ!
あとこの作者さんは、心理描写…というか、心理洞察が秀逸です。
感心するほどこまやかで、配慮がゆきとどいています。
ほんの、ちょっとしたところまで。しかもわざとらしさがない。
それは情景描写などにも及んでいます。
自然は勿論、室内の装飾、服の衣装、小物のセンスも隙がありません。
とにもかくにも、すべてがかわいい。

主人公の彼女も素晴らしいのですよ。
幼さゆえの知りたがりは当然のことで、そうでないと話が進みません。
しかしそこは、きちんと淑女の教育を受けてきているだけありまして。
本物を見抜く力を備えた令嬢として、距離を心得ています。
ああ、ここからはだめだな、と判断すると無理に踏み入ろうとはしません。
好機と距離をはかる間、自分自身であれこれ考察してみて。
ここまでは、と許された範囲で、全力で行動する。
どかどかとやかましく踏み荒らす無神経さがなく、ずっと好感が持てました。
そして芯は強く、肝も据わっていて。
賊を前にしても怯むことなく、凛と、領主の家系として受けて立ちます。
ページを繰るたび、ここまで安心して胸躍らせられたのは久方振りです。
ああ。本当に楽しかった。

塔の姫君におつきはつきもの。
犬に、うさぎに、猫に馬。そして『ちょっと変わったおおきな犬』。
これらの仲間たちと心を一つに、秘密の友の助けも借りて。
姫君が、謎と伝説を優しい指先で丁寧にほどいてゆく。
しつこいですが、こうも耽溺して、堪能できたお話の、なんて久しいこと。
うんとこさ、楽しませて頂きました。
アトリーがお好きなら、おすすめです。

清らかに雪がれるようで、読後の快さに、胸がとっぷり満たされます。
最初も途中も最後まで、心地よさが途切れることはありませんでした。
すごいなあ……。

きっと何よりの贈り物


先日の日記を書いていて、ふと不安になったので調べてみたのです。
ネットでも、リアルでも。まあリアルのほうは、押入れ探るくらいですが。


しかしその押入れは、自室の三大腐海が一つです。
いくら場所がないからって、本棚二つ入れるもんじゃありませんね。
でも他に本の収納場所がないのですよ!
まあそんなわたしの切ない整理整頓能力については筆を省きます。
いえその省かせてくださいお願いします。
先の話に戻りましょう。そうそう、調べもののための、発掘作業です。

キャリスフォード氏の名前を出そうとして、ちょっと心配に。
わたしがそう思いこんでいるだけで、名前を間違っているやもと。
小さい頃読んだ本ほど鮮明に覚えているものですし、自信もあったのですが。
念のため。ネットで調べてみましたら。
うぃきぺでぃあさんのほうだと、『クリスフォード』表記だったのです。
ええー、と思って、いっそのことと、アニメ版の情報を見ても。
やっぱり、『クリスフォード』氏。
これだけ証拠が揃っているといいますのに、記憶違いを認めようともせず。
『そんなあだってわたしの読んだ本はキャリスフォードさんだよ!』と思い。
どこからくるのでしょうねこの自信。まあ、ともあれ。
押入れの奥底に眠る本棚から、本を引っ張り出した次第です。
結構、奥のほうだったので、それなりに発掘作業でした。
で。確認の結果、確かに、『キャリスフォード』氏でした。
もえぎさんだいまんぞくです。

けれど、この一連の出来事に、今更ながらあることに気づきました。
小さい頃は、外国のお話を読んでも、まあ気にしても作者名くらいです。
ただ今回。ふっと目に入った背表紙で、訳者さんのお名前見てみましたら。
『小公女 そのあやこ』、『小公子 むらおかはなこ』
の並びに、思わずおおう!?と声が出てしまいました。
何このやたら豪華な面々。
でも、よくよく考えてみたら、別に驚くことではないのやもですね。
子供のものこそ、児童書こそ、きちんとしていなければなりません。
いえ内容がお説教的とかそういうことではなく。本としての作りが。
一流の人材を全力で投入して、小さい子の、本との出会いを支えるのです。
そういやわたしが小さい頃から好きで好きでたまらないとある古典のシリーズ。
勿論、児童書なのですが。中でも特に好きだった二冊。
とりかえばやと落窪が、たなべせいこさんとひむろさえこさんでした……。
何そのツートップ。最強すぎます。
小さい頃は何も考えず、とにかく好きだったのですけれど。
長じて後、よおく筆者さんのお名前を確認して驚愕したものです。
去年、何となく読んだ狂言の児童書も、たにかわしゅんたろうさんでしたし。
何せこの古典シリーズの発起人というか責任者みたいな立場にいらしたのは。
しばりょうたろうせんせいと、せとうちじゃくちょうさんという事態です。
本気すぎます。
でも。ありがとうございます、せんせいがた。
お陰で幼いわたしは、たのしくうきうき、読むことができました。
そのため。いまだに本が、だいすきです。

国内の読み物はともかく、国外のものは、訳で印象が変わるもの。
自分が最初に触れた訳に馴染みすぎて、新しいのになかなか慣れられません。
わたしもいまだに、クィーン・アンのシリーズは、村岡訳じゃないと嫌です。
前に一度、別の方の訳もどんな風かしらと指を伸ばしてみたのですけれど。
『クスバート』が『カスバート』になってるのが壮絶にアウトでした。
例え正しい発音に近くても、ごめんなさいわたしはこれ無理です。
日本人的に、響きがあまりにもその。
でも一時期、こんな流れでしたね。今もそうなのかは存じませんが。
日本語で勝手に音を歪めてるから、正しい発音に近く表記しよう!って。
そのため教科書でも『ゴータマ・シーダッタ』が『ガウタマ・シッダールタ』に。
おさなごころに、どっちやねん、そしてなんでやねん、と思ったものです。
訳とは難しいものですね。正しければ良いというものでもない。
その好例がオズではないでしょうか。
『オズの魔法使い』って訳は、原題に忠実ではないのですよね。
だから、こんなのは間違いだ!って憤慨された方が、正しい訳で出版された。
そしたらびっくりするくらい売れなかったと聞きます。
正しいのに!と嘆かれてたようですが、ぴったりの訳がなじみすぎると、どうも。
だって『若草物語』が『四人の姉妹』とかどうしようもなくないですか?
あ。すみません、オズのくだりは、手元にその本がなくって。
以前に読んだ内容を、うろおぼえで書いてしまいました。
でも多分、こんな風だったと思うのですけれどね。
そして。うろおぼえついでに、もう一つ。
あやふやですので、話半分にでもお聞きください。


英語のお話を日本語に翻訳すると、文章量が三倍になる。
日本語のお話を英語に翻訳すると、やっぱり文章量が三倍になる。


みたいに。前、聞いた気がするのですけれど。
さて、事実はどうなのでしょう?

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