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とまり木 常盤木 ごゆるりと

ひねもすのたのた

 

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そして今日はどらやきおいしい


どんどん夜明けが遅く、じわじわ寒さが忍び寄ります。
ああ秋ですよ、そして冬ですよ。夏…夏はやく……。


暑いのは耐えられても寒いのはつらいです。
だって寒い季節にはスイカがないのですから……。
スイカがいてくれるからこそ、乗り越えられるのですよ。
まあそんなこと言うていても今は秋ですよ。じきに紅葉です。
たいやきに救いを求めようと思います。たいやきおいしい。


前回の日記で少しだけ訂正です。
訂正と申しますか……補足説明?
流行物を取り入れる作品について、やや批判的に書いてしまいました。
別に悪いことでも何でもありませんのに。
むしろ、流行のものをいち早く取り入れるということは。
書き手のアンテナが、幅広く情報を受け止めているからでしょうし。
アンテナが高感度で悪い、などという道理はありません。
なので本当にこれは好みの問題なのでしょう。
わたしが単純に、時間の流れに左右されにくいものが好きなだけで。
そうでなきゃ、ワードローブに十数年前の服はありませんよ……。
意匠が普遍的だからこそ、いまだに着られるワンピースがあるのです。
ただ少しばかりリメイクで、手は入れてありますけれどね。
ちょっと寂しいかと思い、レースを付け足したりしてみました。
お陰でまだまだ現役です。うれしい。

あっ、そういえばわたしのスーファミもまだ現役でした!
相当黄ばんできていますが、動作不良の気配はありません。
いやその…接触不良はあるでしょうけれど……それは昔から……。
そういう時は、ちゃんとふーふーしますから。
本当はいけないそうですけれどね、ふーふー。
でもついついしてしまうのは仕方ないと思います。習慣! 習性!
ほっぽらかしてるミスティックアークしなくちゃです。
まだ世界半分くらい残っていますし。おかしの世界だいすきです。
古いものも、新しいものも、どちらも素敵なもの。
甲乙つけがたいとかでなく、甲乙つける必要がありません。
温故知新、温故知新。日々是勉強。


そしてまたジョジョなのですが、ここ数日紳士を書きたい気持ちがむくむく。
あちらこちらで紳士を拝見して満喫してはいるのですけれど。
たまに「ああ違うねん…そういう紳士じゃなくて、もっと、こう……!」
的な、じたんばたんする衝動に駆られることが続いて。
そうなると自動的に、長年の経験に基づく自給自足プログラムが作動して。
書きたい、と内側から突き上げてくるものにせきたてられるのです。
そのたびに、いやまだ早い、わたしまだ読めてない、と制する日々。
なにせわたしジョジョマラソン現在地三部ですからね!
もうちょっと、きちんと、読んでからのほうがよさそう。
せめてディオさまのこと片付いてから。
いや別に書きたいお話にディオさま出ないのですけれどね。
何かこう、心構え的な。
けれど……。
紳士が書きたい。紳士と奥様が書きたい。
そしてもちろんふたりの大切なお友達のことも書きたい。
もっと知りたい。調べたい。そして書きたい。
失礼のないよう、真摯に、いつか一部の方々を書きたいです。
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しゅきん、と、まとまる音がする


ぎゃー何このノート効果ばつぎゅんすぎる。
これまでうんうん唸ってたのは一体何だったのでしょう……。


ちっとも決まらなくて時折投げやりになりがちでしたのに。
突然どういうわけだか物凄く集中できるようになりました。
目の前に、きれいに真っ白な空間がある所為でしょうか。
生半可な気持ちで挑むことはできず、きちんと埋めたくなります。
そして埋めようとすると再考が深みへ深みへ自然と導かれます。
こんなにかつんかつんと。
真四角のパズルが並べられてゆくみたいに固まっていくだなんて。
今まで考えもしなかったことへ手が届くようになりました。
繋がってゆく、という感覚が明確にあります。
幸福なこと、と思います。


なんかほんまこれジョジョ効果な気がします。
良い作品の余波すばらしい。これも波紋効果ですか。
やや語弊がありますが、古典を読んでいる気分になります。
現在進行形の、流行語や流行物を取り入れる作品もあります。
確かに鮮度を得ることができますし、共感だって得やすいでしょう。
けれどそれは裏返せば、流行が終わると、即鮮度が落ちるということ。
刹那的な、単なる消費物となってしまう。
そこに普遍性はありません。
ただ、そういった作品を好み、求める方もいらっしゃるのでしょうけれど。
わたしは普遍的なもののほうが好きです。単に好みの問題ですね。
一度季節を過ぎたらもう着られなくなってしまう服よりも。
長く、褪せることなく、ワードローブにいてくれる服のほうが。
わたしは、安心感があって、とても好きです。
何度でも何度でも読み返したくなる本なんかと同じですね。
しかし書いててふと思いましたがこれキモノみたいな。
世代を越えて受け継がれて、何十年前のものも色褪せない……。

年月に裏打ちされた信頼。
絵本や児童文学なんかは即座に評価がくだりにくい存在です。
五年、十年、もしくはもっと時間をかけて。
やっと評価が定着し、そうして愛されてゆく。
それだけの年月多くの人が向き合い続ける。
一瞬の接触で終わってしまえば、そこから何も始まりません。
普遍的な魅力があればこそ、長く触れられ続けるのでしょう。
二十年以上続く作品を包む愛と信頼の気配が、とても心地良い。
惹かれないわけがありませんね。
一言でまとめると、承太郎さん素敵。

かわいいノートに降りしきる流星群に祈りをこめて


ジョジョの影響で、もっと再構築がんばろうという気持ちになれました。
ので。初心に戻る意味で、まっさらのノートを買ってきました。


形から入ってますね。
いやでも、気分一新には、分かりやすい方法だと思うのです。
まあ書きこまない限り、まっさらのまんまなのですが。
いそいそと書いていきましょう……。

再構築再構築言い続けていた割に、わたしの認識は多分甘かったのです。
ぺらい裏紙を何枚か綴じただけのものに、これまで書きこんでいました。
書ききれるわけが、ないでしょうに。
でも枚数に制限をかけたのにも、多少は理由があるのです。
装飾過多になってはいけないと思いまして。
余白がありすぎると、ただ埋めるだけに走ってしまいそうで。
それこそ特に必要ないと思われることまで、たらたらと。
もしそうなれば、純度が低くなってしまう。薄まってしまう。
との、考えでした。
けれど……。
余白はあっても良いのです。問題はその埋め方。
きちんと過程や、理由や、根拠が、明白になっていれば。
薄まりそうなら煮詰めれば良いのです。考えて考えて考え抜いて。
糸井ダーリンのように、頭や脳から、血が出るほどに。
わたしまだ血をながしていません。

例え表に出ることはない情報でも、がっちり固める方はいはりますね。
ぱっと思い浮かぶのは、くらもとそうさんでしょうか。
確かあの方は、登場人物の年表みたいのを作られるのではないですっけ。
最近だとパシリムのデル・トロ監督。パンフに書いてありましたもんね。
登場人物の履歴書作ってる、って。
ともあれ。くらもとさんは、年表にそって書かれるそうで。
そのため人物の動きや流れに一貫性が保たれる。
けれど書く際の根っこであろうその年表は、劇中明らかにはならない。
みたいな話を以前なにかで読んだ記憶があります。
間違っていたらごめんなさい。いやほんとごめんなさい。
ただ、そういう書き方を、わたしもしたいなあ、などと思っています。
いや。したいなあ、ではなく、しなくては。
高橋監督のように人物どころか世界の原子一粒から作るのではないのです。
もっと大きな塊なのですから、がんばらないと。
なにせたった八人です。イレギュラー含めても十人かそこらのはず。
破綻なく、紡がせて、絡ませて、織り上げて。
そうして百のお話を。


苦心惨憺、うんうん唸りながら考えたわけでもありませんのに。
ある時ふっと、なにげなく自然に人物の動く瞬間がありました。
自ら動いてくれました。
再構築を始めてから、初のことでした。
タイミング的にジョジョのお陰のような気がしてなりません。
わたしの言葉は動き出す?
ううん、まだまだ。ただの偶然。慢心はいけません。
誠実に、真摯に。一言一言を、重ねましょう。

いつの日にかのイヤーベア候補に


ジョナサンさんの恵まれすぎた体格に近い人物がみつかりました。
マッシュ…あなた、190センチ106キロ……!


これによりジョナサンさんのイメージがおおきなくまで固定されました。
ああ、ほんと、やっとみつけられました。すっきり。
そろそろ本気で冷蔵庫か自販機のサイト探そうかと考えた矢先でした。
もう人間で比肩する存在はいないのではと諦めかけてましたので。
ともあれ。これでイメージが楽になります、くまさん・ジョースターさん。
もう呼称もジョナくまさんでいいやとさえ思い始めています。
一度納得してしまうと、イメージの置き換えが高速で進みます。
こころやさしく力持ちの、それでも紳士な、おおきなくまさん。
しかしふと、新たに持ちあがる疑問。
長年の修行生活で、破格の体格を得たマッシュ。
そのマッシュより更に五センチ高いジョナくまさんって一体……。


気づきました。
奪気の型で駄狐が言うてた効果音て。
狐……! あの狐は……!
今更気づきました。
……何かもう気づくことばかりです。主に狐方面で。
確かに相手から生命力を奪う技ではありますが。
ディオさま気分で吸ってたのですか駄狐。
小牟のおそろしいところは、ネタをさらりとまぜてくること。
ネタをネタだと気づかせず、自然にストーリー進行へ混入させ。
普通の台詞として違和感なくネタを織りこんできます。
新世界もムゲフロも、わたし殆どネタ知らずにしてましたし。
後になってネタ解説を見て愕然とするのですよ。

先日に引き続き、まだジョジョでちらほら思うこと。
むしろ訂正でしょうか。
改めて少し読み直していたのですけれど。
ごめんなさい、ナレーション結構たくさんありました。
いやその、ナレーション入ってたのが吹き出しの形だったので。
てっきりどなたかの台詞だと勘違いしていたようです。
きちんと前後の流れを理解していなかった、という証拠ですね。
適当なことを書きまして、申し訳ありません。
でもたまに説明が二人で入り乱れているような箇所があるような。
ええ、ナレーションさんとスピードワゴンさんで。
解説奪い合いの様相。
こっちはナレーション、こっちは台詞、と注意しながら読んで。
それでもまだナレーションと思いきや台詞があったりで。
すっごいひっかけられましたよ、シーザーさん……。
あと、「大量のルビがない」とも書いておりましたが。
これもそこそこありますね。
ただし、必殺技に限ってですけれど。
必殺技が漢字でルビなのは仕方がないです。なにせ必殺技ですし。

そうそう、必殺技で思い出しましたが。
一人で地味に感心することが、また一つ増えました。
太陽の色が、山吹色なのですね。
ふと気づいて、ああやっぱり海外のお話なのだなあと思いました。
日本だと太陽を描こうとすると、色はだいたい赤ですが。
これは世界的に少数派なのですってね。
よそさまはだいたい黄色で描くそうなので。
太陽は黄色で、その色を表すのに敢えて『山吹色』と選ばれた。
向日葵でも、菜の花でも、キハダでも梔子でもカナリヤでもない。
山吹。少しオレンジがかった黄。花言葉は『気品』。
そして、ちょっぴり黄金色の気配も漂わせた色。
その黄金の気配が、太陽光線を思わせるのやもですね。

くまさん的には蜂蜜色が一番似合う気がしたのはひみつです。

195センチの存在に悩む日々

我ながら何がどうなったのか分かりませんがジョジョを読み始めました。
おしまいまで、長い道のりですね……。


レンタル屋さんで『ろくじゅうさん(完結)』の表記を見て戦慄。
いやその、長いとは思っていましたが、ここまでとは……。
でも、まあ、質の高い創作物に触れるのは良いことですし。
知らないものを知ることもそう。
知ることの喜びを。


まだ二部の途中なのですけれど、ほつほつあれこれ思ったり。
……が、読みながらとある問題が発生中です。
狐が。狐の影がちらついて。
ええそうですよ駄狐! 小牟!
あの狐のネタ台詞ジョジョ出典多すぎです。
……いや違いますね、正確には、ネタ台詞多すぎです。
むしろ何かしらのネタを絡めていない台詞探すのが難しいほど。
で、その中にある、ジョジョネタをやっとわたしが理解し始めただけ。
あれもこれもそれも……どれだけジョジョ好きなのです、あの狐は。
やっと水憐でパウパウ言うてた理由が分かりました。
そしてストレイツォさんが出るたび笑いがこみあげる始末。
ひどい風評被害です。
これ、読み進めるにつれて、まだまだ元ネタ発見するのでしょうね。
脳裏へ常に駄狐の影がよぎる道程。どんな旅路ですか。

読んでいてなんとなく、「お芝居みたい」と思いました。
なんとなくですよ! あくまで、なんとなく。
よりどころも何もない、他愛のないぽんわりした感想です。
全体的に文字が多い印象。
同じく文字の多い作品であるデスノと違い、説明がだいたい台詞。
デスノだと説明はだいたいモノローグな気がしますけれど。
確かに、二部でナレーションぽい説明は散見します。
けれど一部はだいたいスピードワゴンさんがしてくれるので……。
先々読んでいけば、また印象も変わるのでしょうか。
ナレーションやモノローグは、小説における地の文に近いもののはず。
しかし地の文より台詞に力を入れて、描写をされるのならば。
それはむしろお芝居の台本に近いのでは、などと思ったのです。
台詞回しもそんな風ですしね……って、これは違いそうです。
あの独特としか言いようのない言語センスは芝居がかってるとかではなく。
純粋に、ああではなくては表現できない、と判断されたものなのでしょう。
考え抜く、よりは自然に生じた、言葉。
凡人のわたしは感嘆するよりほかありません。

奇をてらって珍しい単語や、難しい単語を用いているわけではなく。
画数の多い、視野を圧迫する文字列に大量のルビを振るわけでもなく。
日常に隣り合うような、ごくありふれた言葉。
順序や、語数の調整、あと言葉同士の化学反応。
それらを全力で利用することで、あの台詞群を生み出している。
―…の、かな? などと、凡人は思いました。
そうそう、あと感心しきりなことがもう一つ。
多くの、印象に残る台詞たちが五七音に縛られていないこと!
「そこにしびれるあこがれる」なんかは五七音でしたが。
それ以外で縛られている台詞は、あまりなかったような。
日本人のサガなのか、どうしても耳に心地よいのは五七音。
言葉をリズムよく運ぼうとすると、ついその流れに乗ろうとしがちです。
少なくともわたしはそうです。
けれど、指輪翻訳で高名な瀬田先生がおっしゃっていました。
日本人は五七音に縛られすぎだ、と。
そのお考えゆえか、指輪に出てくる歌は五七音でないのですよね。
お陰で序盤のボンバディルあたりと中盤のエントが若干つらい……。
上手く扱わないと、肌になじまなくなってしまう。
五七音を離れるのなら、緻密な計算や周到な準備や挑む気概が必要なはず。
それに、立ち向かわれているのだなあ、と思いました。
もしくは先に申しましたように、天然自然に溢れださせているのか。
きっとそうなのでしょうけれど、だとしたら本当に。天才の所業。
日本で一番上手にオノマトペを用いた方は、賢治先生だといいますが。
次点か、少なくとも三本の指に、荒木先生は入るのでは。
ともあれ、ささやかな楽しみに、ページを繰る日々が続きそうです。


で、どうしてディオさまはいつもツメがあまいのですか。
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