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とまり木 常盤木 ごゆるりと

ひねもすのたのた

 

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積み木で組み立ててゆくように

昔話をいたしましょう。
わたしのお城がわたしの手を離れてゆく過程を。


一番更新していた時は、それこそ連日してましたね。
だって、楽しくて仕方がなかったのですもの。
ここは唯一の場所でしたから。
わたしが自由に思うまま遊んでも飾っても良い……。
更新が滞りがちになったのは、時間がない、というのもありますが。
技術的な理由も、大きな要因です。

わたしの持ってるノートPCは、今の子で三代目。
サイトは初代に初期搭載のFrontpageExpressで作っていました。
ところが二代目になって、なくなってしまったのです。
これまでと同じ方法で作ることができない、どうしたら……となって。
仕方なく、二代目に入っていたホームページビルダーに頼りました。
あちこち違和感もありましたが、ある程度互換性はありましたし。
どうにか、なっていました。
ところが三代目で。ホームページビルダーも消滅。
更新したくば有料版を購入するが良い! という状況に陥りました。
えぇー…と思いつつ調べたら、まあお値段のすることすること。
ゲイツに対する恨み(おかどちがい)を募らせる結果となりました。
考えてみれば、時代の推移に伴い、個人がHPを作る需要が減ったから。
だからそういったソフトを初期搭載しない方針になったのでしょう。
とはいえ、何やら寂しいものです。
ソフトの要らない、ブログだけは、ちみちみ続けておりましたが。
こんな日記でも、実は書くのに三十分とかかかっているのですよ。
その時間あったら、お話書いたほうが良いのでは……? とも思い。
日記にもなんとなく迷っておりましたら。
ついったーなるものが現れ出でたものですから。
うっかりそちらに流れ、現在に至っております。

まあ、上記のような理由で。
すっかり更新が滞る……というより、できない、ということでした。
そうこうしている間に、ぴくしぶさんやらぷらいべったーさんが出て。
のんきに過ごしているうちに、SNSが全盛を極めることに。
確かに便利ですものね。ええ、便利ではあります。
ただ今月あたまの日記でも申しましたが。
そこがどれだけ快適であろうとも、賑やかであろうとも。
わたしはお城を知っているものですから。
流行のカプセルホテルより、わたしはわたしの小さなお城がいい。
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この気が遠くなるほど広大なネットのどこにきみは?

昔話をいたしましょう。
わたしともういないひとの絆とのために。


URLの話で思い出しましたが、変更前のものについて。
アイネクライネになる以前。
そもそもジオシティーズさんは、番地形式でした。
各通りごとに名前がついていてそこから選び取るの。
ふふ。最初は、PlaytownのDiceです。9444の。
ゲーム系サイトがPlaytownだったように思いますが、どうだったか。
あと、ですね。
これは、最初期をご存知の……いや身内しか分からないことやもですが。
9444の番地。わたしのものではなかったのですよ。
当時の相方が使っていたのです。譲り受けました。
サイトを作ったのは、相方のほうが早くって。
新しいところに引越しをするから、こっち要らない、ってなって。
その頃わたしもサイト作りたくなっていたので、じゃあちょうだい、と。
今なら問題になるのやもですけれど、時効と思いたいです……。
なので、以前ふるい友人に言われて、くすっとしたことがあります。
「(相方)さんのサイト行こうとしたら、もえぎさんに繋がった」
みたいに。URL譲渡されていたのを、そんな形で知られました。
それから、なぜ9444かといいますと。

わたし「なんで9444にしたん」
相方「縁起の悪い数字にしようと思って」
わたし「こんにゃろう」
と、いうわけです。

そんな相方とは、長年、音信不通であります。
探しているのに、会いたいのに、繋がらない。
メールを送っても返事がない。電話をかけても出てくれない。
自宅は知っているけれど、連絡なしに行くにはちゅうちょしてしまう。
別に仲違いをしたわけではない。ただ、途切れてしまった。
わたしが進学で地元を離れた数年の間に……。
地元の知り合いにも訊ねましたが、誰も知らない。
だって、相方の一番近くにいたのは、わたしであったから。
わたしが知らないのに誰かが知っているわけもない。
前述のふるい友人も、共通しているので、探していてくれた。
けれどみつからない。何をしているの。
幸福であってくれれば良い。
でも不安で、たまに夜、思い出しては寝つかれなくなります。
才能に溢れる相方でした。
学生でありながら、依頼を受け商業アンソロにも寄稿していました。
テニプリのやつお持ちの方いらしたら、見てみてほしいです。
拙宅に、ケイオスくんの素敵なイラストありましたでしょう。
ご記憶ございませんか。もう、さげてしまったけれど……。
彼女です。わたしの、これまでもこれからも、ただ一人の相方。
そんな相方を傍らでわたしは見続けて、すごいなあと思っていた。
失った衝撃は、筆舌に尽くしがたいものがあります。
実はゼノギアス合同本を出す話が直前まで進んでいたのです。
無理をしてでも出していたら良かったと、いまだに悔やまれます。

わたしが知っている最後のほう。
彼女はオンラインゲーにはまっていました。ラグナロクオンライン。
画面もよく見せて貰いましたが正直よく分からなくて。
せめてアカウント名だけでもきちんと覚えていれば、と後悔しています。
そこで、ラグナロクでの知り合いの方へ、実際会いに行くこともあって。
当時は未成年でしたし、わたしも心配や注意をしましたが。
うっかり知らない人についていくわたしのがよくお説教されていたので。
説得力なんて、ほぼないようなものだったでしょう。
あれが原因、だと確定しているわけではありません。
でも当時のわたしはオンラインゲーを憎みました。
わたしの大切なひとをうばっていった。

あの。ほんと。彼女をご存知の方いらしたら、どうか教えてください。
名前は分かりません。
ただわたしの知る最後のほうの名前は『民子』または『神子』でした。
わたしは延々『もえぎ』ですが、あの子名前ころっころ変えるので。
名前から探すこともできない。けれど、絵なら分かるのではないかしら。
専門教育を受けたわけではない、独学で卓越したセンスと画力を得た。
わたしのだいすきなだいすきな沈黙すら心地良かった唯一無二の相方。
きみからもらったサイトがきえてしまうよ。
きみのようにきえてしまう。

その番地の、その通りまで

昔話をいたしましょう。
そもそもの始まりは、どんなであったことか。


問題です。
拙宅へ、一番はじめに置かれた二次創作小説は、なんだったでしょう?
ほんとうのほんとうに最初期をご存知の方しか分からないはず。
なにせ、もうとっくに、下げてしまいましたから。
答え。FF8です。
ふふ、なかなか意外ではありませんか? 自分でも思いますもの。
確かラグナさんのお話だったはずです。ラグナさんだいすきでした。
ジャンル変遷もそこそこ経てはおりますね。下げたものも多いです。
ゾイドやサモナイもありましたねえ。
あと、ゼノであっても、下げたものもそれなりにありますし。
お察し頂けると思いますが、初期作は読むとわたしがダメージ負うので。
貴様よくもあの精度でひとさまにお見せできたなと……。
ただそんな超電気分解ダウンな出来でも、熱意はとても敵いません。
勢いとか、そういったもの。だから根負けして幾つかはまだ上げてます。
お願いですから読み返しに行かないでくださいね。後生ですから。

そうそう。
URLが途中で一度変わったのを、覚えての方はおいででしょうか。
いっぺんジオシティーズさんが番地形式を廃止することにされて。
「新しいURL考えてね!」ということになり、今のものになりました。
すっっっっごい悩んだのですよ。
わたしのお城、接触者対存在でフェイエリィなお城をどう表現する? と。
結果、悩みまくって辿り着いたのが、この形。
アイネクライネファンタージエン。
尾を咬む蛇は、アウリンにも通じるものがあります。
小さな小さな、ささやかなわたしのお城には、似合いだと思うのですよ?
いや「その名は不遜がすぎる!」と言われたら否定できませんけれど。
まあ、もうすぐ消滅いたしますので。ご容赦くださいませ。

うつくしいものを集め続ければ、すべてがうつくしいものになると

昔話をいたしましょう。
ひたひた崩壊の足音が近づいてくる中。


初報を受けて、呆然として。
衝撃もそのままに、のろのろと久し振りにログインして。
全データをサルベージしながら、涙がとまらなくて、びっくりしました。
ぼろぼろないて、ないて、なけてしかたがなくて。
嗚咽を漏らしながらバックアップをとってゆきました。
友人たちからも、色々言われました。主に、引越しについて。
「きみの歴史やぞ!?」とまで言われて、ああ確かに、となりました。
わたしの小さなお城は、わたしの歴史そのものでした。
次のお部屋はどうこしらえよう、何を置こう。壁紙は? 色は? 模様は?
できないことがあれば調べて、少しずつ組み立てていった。
愛しいものをたっぷり詰めこんで、蓄えて、慈しんで。
これは自信を持って言えることですけれど。
世界中の誰よりもわたしのサイトがすきなのは、わたし自身でした。
だって、わたしの、お城なのですから!!

今も昔も接触者対存在中心フェイエリィサイトではありますが。
一応、めざしていたことはあります。
『初めて来た方が一日では読みきれない量』です。
量より質できました酷い。力不足がつらいですが、これがげんかい。
そうできていたでしょうか? 果たしてわたしは書けていたでしょうか?
ゼノギアス発売から二十一年が経ち、わたしはまだ書いています。
だって書ききれないのですもの。まだ書きたいことが尽きない。
多くの方と出会う機会を頂き、多くの方が去っていかれました。
あかんこともしたでしょうし、嬉しいこともありました。
それでもわたしはここがすきでした。
やりたいことを、うんとこさ、存分に、やってきましたもの。
その瓦解。むしろ消滅ですね。破片すら残らない。
まるで最初から何もなかったかのよう。
いっそ、運命の日までに、自分で息の根を止めるべきかとも思いました。
できませんでした。
なので、あとはもう、やふーさんに全てを任せます。見届けます。

わたしのお城がなくなる瞬間、わたしはどんな顔をしているのでしょう?

わたしのお城にさようなら

昔話をいたしましょう。
もう、年数も、ろくにおぼえてはいない、昔話を。


お久し振りでございます。もえぎでございます。
わたしのサイトが消えるまで、一ヶ月を切りました。
語り始めたら、それこそなかなか終わりそうにありませんので。
こうして、ブログに書いてみることに致しました。
小さなサイトです。ずっと、荒野の辺境を自称しておりました。
それでもわたしにとっては、お城でした。
大切な、ささやかな、わたしのお城。
その消滅。見届けようと思います。

個人サイトが過去の遺物と、嘲笑の対象になったのはいつからでしょう。
SNSが発達してからでしょうか。
まあ、そこらへんの年代特定にはさして興味はありません。
ただわたしは、そういった声がとてもいやでした。
そう仰る方々にとって個人サイトとはその程度のものだったやもですが。
あんまりいやすぎて幾度となく消そうかと思い、踏みとどまりました。
わたしはながく、わたしのお城を運営してきました。
お城、といいましても、重厚な石造りとかではありません。
あくまで『お城』は自称であって、たぶん『部屋』くらいが妥当。
たぶん平屋。こぢんまり極まりない、きのこみたいな一戸建て。
それでもわたしにとっては宝物のようなお城でした。
かけがえのない、わたしだけのお城でした。
だって、わたしが初めて得た、『自由にできる場所』だったのです。
一人で思うままに飾っても並べても誰にもばかにされない場所。
壁紙は好きなものを選べたし、完成させたお話は家具でした。
パフェ用のグラスにアイスとジャムとヨーグルトとチョコソースとオレンジとさくらんぼとショートケーキとプリンとカスタードとウエハースとザッハトルテと生クリームとワッフルと苺と桃とシャーベットとジャンドゥーヤとマカロンと芋けんぴとりんごのコンポート載ってたらアルティメット幸福でしょう?
すきなものだけを集め続けて、すきなものだけに囲まれ続けて。
その空間を支配するのはわたし。法はわたし。
だいすきでないわけがないではありませんか。

確かに、ぴくしぶさんや、ぷらいべったさんは、便利です。
実際、利用しておりますしね。けれど個人サイトとは全くの別物です。
あそこは、わたしにとってカプセルホテルです。
いくら快適であろうとも。
小さくて、不便で、ささやかなものであっても。
わたしはわたしのお城が良い。
のびのびと足を伸ばしてくつろげる。
誰にも気兼ねしない唯一無二の場所。
少し離れていても、いつでも帰ってゆける、わたしのはねやすめ。
たまに、お声を頂きましたもの。「まだあったんですね!」と。
もしかしたら揶揄も含まれていたのやもしれませんけれど。
わたしはのんきに「まだあるんですよ!」と笑っていました。
名実共に荒野の辺境。けれど、訪ねる人もある。
なくすつもりなどありませんでした。
まさか強制的に瓦解させられるとは思いもしませんでした。

さんざに個人サイトを嘲笑し続けた方々におかれましては――
衷心よりお喜び申し上げます。
あなたがたの呪いは見事に結実しました。
どうぞ、誇られてください。
「妖精なんかいない」と言うたびに、妖精が一人しんでゆく。
それにも似たもの。要らないものは、きえるだけです。

あと、三十日。
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